


新旧 地形図で見る 新潟県の百年
当会の指導教授 鈴木 郁夫先生の書籍紹介です。
「新旧 地形図で見る 新潟県の百年 明治~平成の変貌」
編者/鈴木 郁夫 赤羽 孝之
新潟日報事業者
一目瞭然! 地形図が教える新潟県百年の変貌
定価(本体2,800円+税)
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目次 | |
はじめに | |
目次 | |
本書の利用のために | |
凡例 | |
国土地理院新潟県刊行地図一覧図 | |
国土地理院の地図 | |
総論 | 新潟県の自然概観 ―地形・気候― |
総論 | 新潟県の人文・社会の概観 |
コラム | 境界線からみた新潟県のかたち |
下越地方インデックス | |
1 | 県北の山と海の町 ―山北― |
2 | 変貌の中に歴史の面影を残す城下町 ―村上市中心部― |
3 | 荒川流域に展開する静かな農山村 ―関川村― |
4 | 扇状地開発の街 ―胎内市中条― |
5 | 観光開発によって著しく変貌した胎内 |
6 | 阿賀北地域の中心都市 ―新発田市― |
7 | 新潟東港の開発によって激変した聖籠町・新潟市南浜地区 |
8 | 蒲原の原風景を残す静かな住宅都市 ―豊栄― |
9 | 五頭山地西麓~阿賀野川右岸の田園都市 ―阿賀野市― |
10 | 阿賀野川沿いの東蒲原郡の中心 ―津南・鹿瀬― |
11 | 新潟港・工場地帯から変容した新潟市東区 |
12 | 政令指定都市・新潟市の中心部 ―中央区・江南区西部― |
13 | 「芦沼」から交通の利便性を生かした都市近郊のまちへ ―亀田郷― |
14 | 砂丘と低地に展開する新潟市西区 |
地図記号の由来 | |
15 | 原油採掘と鉄道交通の要衝から発達した新津 |
16 | 繊維産業と城下町から発展した五泉・村松 |
17 | 自然堤防と潟の町 ―旧巻町と旧西川町― |
18 | 輪中的景観に発達した白根と周辺郡 |
19 | 弥彦山と工業団地・吉田 |
コラム | 地図と空中写真のおもしろさ |
コラム | 地図に見る世界の寒冷地の地形 |
中越地区インデックス | |
20 | 伝統産業に支えられた越後の小京都・加茂市と田上町 |
21 | 県央の金属産業から発展した三条市・燕市 |
22 | 五十嵐川中流に展開する小盆地 ―下田― |
23 | 大河津分水路両岸の地域 ―旧分水町と旧寺泊町― |
24 | 刈谷田川とともに発展した見附 |
25 | 信濃川河岸場・城下町起源の歴史豊かな町 ―与板― |
26 | 豊かな自然と文化に恵まれた地方中核都市 ―長岡市― |
27 | 変貌著しい長岡市西部 |
28 | 水と緑と織物の町 ―栃尾― |
29 | 信濃川の谷口集落 ―小千谷市― |
30 | 渋海川に依存した小盆地・小国 |
31 | 良寛と石油産業発祥の地 ―出雲崎町― |
32 | 石油とモモの村から原発の村へ ―刈羽村― |
33 | 中越地震からの復興をめざして ―柏崎市― |
34 | 奥只見開発とともに変貌・発展した小出および堀之内 |
35 | 県内有数の大型扇状地・八色原 |
36 | 南魚沼の中心として発展した六日町・塩沢 |
37 | 小説『雪国』・スキーで知られた温泉町・湯沢 |
38 | 信濃川流域の豪雪・河成段丘・織物生産で知られた十日町 |
39 | 日本有数の河成段丘が発達する津南 |
40 | 過疎化の進む松代・松之山 |
コラム | 地形図・空中写真から変動地形を読む |
上越インデックス | |
41 | 頸北地域の変貌 ―柿崎・吉川・大潟・頚城― |
42 | 上越地方の面積のほぼ半分を占める上越市 ―高田と直江津の連接化― |
43 | 高田平野と山地・丘陵の境 ―高田南部・新井― |
44 | 信越をつなぐ雪国の回廊 ―妙高高原・妙高― |
45 | 糸魚川と直江津の間、西頸城の海に面する町 ―糸魚川能生― |
46 | フォッサマグナの街から世界のジオパークへ ―糸魚川― |
コラム | 学校『地図帳』は卒業後も役立つ教科書 |
47 | 豊富な石灰岩に支えられた企業城下町・青海 |
佐渡地区インデックス | |
48 | 加茂湖と佐渡交通の要所・両津 |
49 | 佐渡の国中 ―佐和田・真野― |
50 | 佐渡の南部 ―羽茂と小木― |
51 | 鉱山都市・相川 ―観光地への展開― |
新潟県の地理を良く知るための参考図書・文献 | |
新旧 地図で見る新潟県の百年 編集・執筆者一覧 |
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松本→新潟市(戻り) 9月26日(日)
9月26日(日)
松本→新潟市(戻り)
昨日以上の良い天気。宿の窓からは周辺の山々がはっきりと見え、こんな日が続いてくれていたら・・・
戻りだけなので、ゆっくりと宿を出発するつもりだったが、気持ちは高ぶり早々に出発。
ルート案内では高速道路利用がメインなのですが、奈良井川に沿って安曇野市へ。
充分にきれいな奈良井川も安曇野市に入った辺りで梓川と合流し、高瀬川・穂高川を加え犀川となり、千曲川と合流して、やがては新潟県へと流れ下っていく。
長野県までサケを上らせようと活動されている人達や団体のことがふと思い浮かぶ。
参照)http://www17.plala.or.jp/mizubenokai/
車窓から前方左側は北アルプスの稜線が前方立山方面まで延々と続いている。
右手は美ヶ原や聖山らの連山。ここで1ヶ月程生活すればこれらの山々の名前をすべて覚えられそうな、そのような気分で「大王わさび園」へ向かった。
★「大王わさび園」北アルプスからの湧き水を利用した安曇野わさび田湧水群の一角にある、日本最大規模のわさび園であり、年間約120万人が訪れる安曇野随一の観光スポットである。
わさび田に引かれる湧水は一日12万tで、水温は年間通して12℃。収穫は年間通して行われる。
直射日光に弱い為、4月から9月末まで黒い寒冷紗でわさび田を覆う。また、ここは黒澤明監督の映画『夢』のロケ地としても知られる。売店での名物はわさびソフトクリーム、わさびコロッケ。
山葵の栽培品種は、長野23号、真妻、正緑、などがある。
大王」は敷地内にある大王神社に由来し、この神社は民話に登場する八面大王の胴体が埋葬されているとされる
開園前にもかかわらず観光バスがどんどんと駐車場へ入ってくるし、自家用車も何台か止まっている。
入園は無料なので時間に縛られるおそれはないが、広大なわさび園は何カ所も売店があり、ゆっくりすれば半日位過ごすことができる。
園内の万水川に水車が3連並んでいます。散策して最後に水車の所へたどり着き、ようやく自分で納得。
色々なHPでここの写真が数多く載っている。最初は何処だろう?気になるところの1つであった。
こんな所本当にあるのか?新潟にも水車があるところは何カ所か有るが、これ程までに水車と清流がマッチしているところは無いと思っていた。それが今、目の前にある。思わずため息。
この安曇野は水の里として知られている。メインとなる場所を求めて車を走らせた。
ガイドマップには此処という場所は示されていない。大王わさび園の案内の人に聞いてもはっきりと(確か小さな看板が有ったはずだが・・・・?)わからない。・・・・?
重柳地区をぐるぐる回っていたら郷土文化伝習施設があり、そこで再び地元職員らしき人に伺った。
「湧水ではなく湧水群という様に特に此処だという場所はありません。この辺一体は、いたるところ湧水があり、ほらそこの小さな堀からも水は湧いて出ているでしょう。静岡の柿田川の様にココがそうですと行った場所は残念ながら・・・・
この湧水は安曇野の西側北アルプスからはもちろん東側からも雪解け水等が地下10メートル位の所を地下水となって通り、そして湧き出ています。
確かに東西には万水川・犀川がありますが、その下を通って。
ほら隣の田淵行男記念館((山岳写真家、高山チョウ研究家である田淵行男
(1905年6月4日-1989年5月30日)の作品、遺品などを展示した記念館))脇からも出ているでしょう。
そして水はこの辺ではいちばん低い所、大王へ流ていきます。」
思わぬ訪問者がうれしかったのか、建物の外まで出てきて、延々とお話しして下さった。
前日上高地を散策してきた為か感動は少なかったが、十分に私の心を動かしてくれた。
どうしても新潟では?と比較してしまうが、なかなか新潟に存在するのだろうが、恥ずかしながらまだ私が見ていないのかも知れないが、このような姿は見あたらない。
今までに私が訪れた中では、
柿田川はもちろん、
三島市の源兵衛川、
茨城県の泉が森、
岐阜県郡上八幡、
北海道オンネトー、
津軽十二湖、
等々に優るとも劣らない自然風景であった。
本当の自然なのか人工的に造られた自然なのは別にして、後世に残したい風景に代わりはなかった。
3日程現地に留まり、色々なところを散策したかったが最後の目的地「姫川源流」へ向かいました。
★『姫川』
水源は長野県北安曇郡白馬村の親海湿原の湧水である。姫川源流湧水として名水百選に選定されており、雪融けのころに咲く福寿草と水芭蕉が知られる。元々の水源は青木湖であったが、佐野坂の地すべり堆積物によって堰き止められたと考えられている。そのため、湿原の湧水は青木湖からの漏水であるとの説がある。
白馬村においては、白馬連峰に端を発する支流の松川や平川が扇状地を成し、平坦な盆地(白馬盆地)を形成している。ただ、流域の大半は白馬岳を始めとする標高2,000mを超える山々が連なり、非常に急峻である。
流路が北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界となっている糸魚川静岡構造線にほぼ沿い、東西にある急峻な西頸城山地と北アルプスから供給される土砂が多い。また、飛騨外縁帯の脆弱な蛇紋岩が上流部の八方尾根、中流部の平岩・小滝付近、および支流の大所川上流部に広く分布するため、地すべり地形が広く分布する。そのため豪雨による土砂災害が絶えず、道路や鉄道が不通となることがたびたびあり、暴れ川として知られている。
この川の流域には、蛇紋岩中に構造岩塊として含まれていたヒスイの産地があり、現在確認されている日本全国の縄文時代早期から奈良時代の遺跡から発見されているヒスイ製大珠や勾玉などの装身具の原料は、この川の流域や西方にある青海川流域、および新潟県糸魚川市大和川海岸から富山県下新川郡朝日町宮崎海岸にかけての日本海沿岸で採取されたヒスイを用いて現地で加工されたものであると考えられている。
現在でも、姫川河口の東西の海岸(東は糸魚川市大和川海岸、西は黒部市石田浜)や姫川の河原において、ヒスイを観察することができるが、ヒスイに類似した岩石も多く鑑定には経験を要する。
糸魚川市 美山公園にはヒスイについて考古学的な側面から紹介した長者ケ原考古館と、地球科学的側面から紹介した、フォッサマグナミュージアムがあり、フォッサマグナミュージアムでは採集した岩石がヒスイかどうかを学芸員が鑑定するサービスが行われている。
姫川に関する詳細は上記のようにHPに紹介されており、今更語ることではないようですが、とにかく解りづらい場所に代わりはない。国道脇に看板が1つ。それも案内看板ではなく車を止めるためのもの。見過ごして先方の道の駅「白馬」から戻ってしまった。
山道を下り、木道を渡っていくときれいに澄んだ水がコンコンと湧き出ている。
ベンチで辺りをしばらくながめ、3泊4日の帰路に就いた。
立山カルデラ見学会が中止となり、予定が少しずれてしまいましたが、後半は天候にも恵まれ、まずまずの旅??となりました。各地でおみやげを買ったり、温泉に入ったり、食事を楽しんだりするのもいいが、私は各地の自然風景を見るのが好きだ。時間に追われる団体旅行は好きになれない。せっかくの非日常を一人で時間の許す限り見ていたいものだ。決して他人に強要しないが、今ある自然をいつまで残していきたいものである。
平成22年10月 勝山

富山より上高地へ 9月25日(土)
天候=快晴。今更ながら、昨日の中止が悔やまれる。
1896年(明治29年)ウォルター・ウェストンが日本アルプスをイギリスに紹介してから多くの人が知ることになったが、せめて紹介者は日本人であって欲しかった。最も日本はその頃それどころじゃなかったのでしょう。
午前8時富山駅前のビジネスホテル出発。前日のチェックイン時会員カードの件でフロントでもめた。
ちょうど込み合っている時でもあったが、こちらの認識不足からポイントが付かないことに納得いかない旨をつらつらと述べたが、フロントマンも引き下がらず、明らかにこちらの勘違いかも知れなかったが、何かもやもやしたものが残った。
気分を害したのでチェックアウト時にメンバーカードをフロントに叩きつけて「もう二度と宿泊しない!。
友人知人にも一切紹介しない!」と云いたかったが・・・・・。
国道41号から国道471号を南下ひたすら平湯温泉のアカンダナ駐車場を目指した。
途中3カ所の道の駅に止まり、なにやら買い込んだりしたため、予定より1時間遅れ。
案の定、駐車場は満車に近い状態。土曜日ということもあり、多くの人が次のバスを待っていました。
車の人はここに駐車してシャトルバスで上高地へ向かうのが一番都合がよい。
車内は満席。本格的な登山スタイルのひと、軽装のひと様々。「安房トンネル」の開通のおかげでスムースに行くことができる。
★「安房トンネル」(あぼうトンネル)は、中部縦貫自動車道(安房峠道路)の中ノ湯ICと平湯ICの間にある、長野県松本市(旧南安曇郡安曇村)と岐阜県高山市(旧吉城郡上宝村)を結ぶ全長4,370mの自動車専用トンネルである。
1997年12月6日安房トンネルが開通。安房トンネルは地熱地帯(活火山焼岳の直下)を通るため、世紀の難工事といわれ、水蒸気爆発による工事中断もあり、結局爆発箇所を迂回することになった。中の湯交差点付近では、もともと出口になる予定だった箇所に橋脚の遺構を見ることができる。安房峠区間は1.5車線の狭小な峠越え道路であった上に冬季は通行止めになり大幅な迂回が必要であったが、このトンネルを含む安房峠道路の開通で通年通行可能となり、相当便利になった。
「大正池」バス停で下車、散策スタート。大正池ホテル横の小径を下りるとすぐに視界が開けて大正池の畔に出る。北アルプス唯一の火山焼岳は雲がかかってその全貌を見ることができなかった。
右手奥の穂高連峰も頂上あたりが見えず。
しばらく眺望を楽しんだから池の畔を進み、上高地自然研究路へ。
★「大正池」
大正4年6月6日、焼岳の大爆発による膨大な土砂流により、急スピードで梓川がせき止められた。
短時間のうちに川の水は上高地温泉まで達し、これが大正池の誕生となった。その後、土砂の流出が続き、現在は当時の一割以下の規模となっている。梓川湖、大正湖などと一時呼ばれたが、やがて「大正池」の名が定着した。幻想的な立ち枯れの木は、水没した木が枯れて幹だけ残ったもの。
昭和2年より霞沢発電所の貯水池として利用されている。
霞や朝もやの幻想的な雰囲気とは対照的に、晴れた日には焼岳や穂高連峰を美しく映し、マガモが遊ぶ穏やかな表情を見せる。上高地の入り口に位置し、来る人を迎え、行く人を送る大正池。
帰り道には名残惜しく振り返りたくなる景色がそこにある。
湿地帯に続く桟道を進むと再び大正池の畔に出る。付近には中千丈沢から押し出された白砂が広がっている。林間の道は、再び湿地帯を横断し、程なく「田代湿原・田代池」にでる。
ベンチも設置されていたが、ひと休みせずに梓川にかかる田代橋をわたり河童橋へ。
★「田代湿原・田代池」焼岳の噴火で流れ出た溶岩によってせき止められてできた池です。
カラマツやコメツガの樹林を通る遊歩道を抜けると、突然辺りが開け湿原地帯が広がり、その傍らに田代池が水を満たしている。
先回は梓川の左岸を歩いたので、今回は右岸を。「花崗閃緑岩」に埋め込まれているウェストン碑を少しだけ見て、河童橋着。
★「花崗閃緑岩」
御影石の仲間で少しは色のついた鉱物、例えば、雲母・角閃石が多い種類のことを花崗閃緑岩と呼んでいる。
時間が無く河童橋であきらめた先回でしたが、今回はその奥、明神池まで足をのばすことにしました。
上高地一番のの人気スポットだけあって大変混雑していた。
私の目的はウォーキングと画像撮りでしたので、この後はひたすら歩くことに徹した。
当たり前かも知れないが水のきれいさに見とれる繰り返しである。地元新潟の信濃川、西川、内野新川等々いつも見ている川の汚さ、どうして新潟の川の水は汚いのか・・・・
今いる梓川も犀川、千曲川、そして信濃川と名を変えるにつれてどんどんと汚れていく。
再び梓川の左岸を明神池を目指した。片道約1時間。だけど時々カメラのシャッターは押していました。
すれ違う人が盛んにシャッターを押している。私がその場所へ行ったときには笹藪の中に隠れるところ。
姿形からおそらくテンではなかったか?
明神迄は針葉樹林が続きほとんど眺望は望めなかったが、梓川の流れる音が聞こえ、ほとんど平坦で、ウォーキングにはもってこいの道でした。突然森が開けて穂高神社奥宮参道を示す標識が現れる。
場所をはっきり確認していなかったので、近くに明神池があると勘違いし、辺りを見回したが矢印標識だけ。明神池は再度梓川を渡った対岸の奥でした。渡った橋は明神橋。
池まではもう少し。木道のところでサルの親子発見。
★「明神池」
上高地の奥の穂高神社奥宮境内にあり、神域となっている。
なお、「かみこうち(現在の漢字表記は「上高地」だが、本来は「神垣内」)」の地名は、穂高神社とその祭神である穂高見命(ほたかみのみこと)の地であることに由来する。
交通拠点となる上高地バスターミナルから徒歩でおよそ50分かかる。池はひょうたん型で一の池と二の池に分かれており、湖面へ映る木々が美しい。神秘的な感覚が味わえる。
明神岳で土砂崩れが起き、梓川支流の沢がふさがれてできた。
かつては三の池もあったが、土砂災害により消えてしまった。
明神岳からの伏流水が常に湧き出ているため透明度が高い池を見るには神社内の池であるので拝観料300円がかかる。
鳥居をくぐって穂高神社奥宮に参拝し、畔を散策。池の中にはイワナの姿も見られ明神岳を背景にして湖面にはいくつもの島が点在し、まるで日本庭園を見ているかのような錯覚に陥る程である。
時々テレビの旅番組で明神池を紹介するが、その時は穏やかな神秘的な湖面の一之池だけで、まさか一之池
と二之池
が有るとは・・・・全く知らなかった。
戻りは梓川の右岸を木道を河童橋経由バスターミナルへ。
途中、私としては上高地で一番美しいと思われると所
を通過。バスでアカンダナ駐車場へ戻り、平湯から再び安房トンネルを通り、本日の宿泊地松本へ。
本日 21610歩